543:丸田祥三なる写真家

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記事540に引き続いて、「第二天竜川橋梁橋脚」または「第二天竜川橋脚」の写真をさがしているのですが、友人から下記写真を紹介されました。
 543:丸田祥三なる写真家
 ↑ この写真は、写真家丸田祥三の「眠る鉄道」(小学館)からの転載です。

この写真自体は「第一天竜川橋脚」の写真です。そうです。心象風景と重なる写真です。思い返せば、船明ダムを過ぎて、橋脚のままの状態がかなり長い年月続いていてどうなってしまうのかなあと思っていたのです。
その後「第一天竜川橋脚」はダム湖の利用の関係で撤去の憂き目を受けたようなのです。ですのでこの写真は遺構ということではなく、貴重な記憶遺産ということになりますね。

この記憶遺産と少し上流の夢の吊り橋が架かる前の第二天竜川橋脚の二つが心象風景だったのです。紹介してくれた友人には感謝感激です。

感激をしているついでに、丸田祥三なる写真家に興味を持ちいろいろ探索しますと、彼の出版物は廃墟・廃線の写真集がほとんどです。その写真集を図書館で片っ端から見るにつけ実に硬派なしびれる存在であることが分かりました。さらにこんな本もありました。
 543:丸田祥三なる写真家
「表現する仕事がしたい!!」(岩波文庫ジュニア新書)の中でジュニア向けにプロの13人が「どうして今の仕事を選んできているか」を語っています。ギタリストの村治佳織、チェリストの長谷川陽子、狂言師の茂山童司などの中に丸田祥三もいたのです。
本の中の写真では、
 543:丸田祥三なる写真家
8歳の時に撮っていた廃電車の写真を紹介しています。

さらに丸田祥三の発言がしびれます。戦後の復興・高度成長の時代に子供が廃電車などを撮ることを大人が拒否ををしたんだそうです。それに対し子供の丸田祥三は以下主張した。
「・・豊かになったばかりの人に、ちょっと前の時代の話をしたら、きっと嫌な顔をされるのは当然・・・・でも何十年も経って、豊かなことが当然になったら・・・・私のこういう写真を”よくぞ撮っておいてくれた”と言ってくださる方が必ず現れると思う・・・」

過去を振り返ってこれを書いているのですから多少大人風の言葉に替わっている可能性はあるでしょうが、彼の記憶の中ではこんなスタンスで大人に対抗してきたんですね。これが彼が廃電車・廃線などを撮り続ける意思だったんですね。以来「無理解と対峙し続ける」姿勢を続けているようなのです。
 
そんな彼をアシストしたのはプロ棋士の父親のようです。彼の父親はプロの将棋棋士の丸田祐三です。日本将棋連盟会長をしていた・・・大名人大山康晴と名人戦をしていた・・・なんてすごい・・・
大山康晴名人といえば、升田幸三を思い出さずにはいられない・・・(この辺は後日記入する機会があると思います)

 543:丸田祥三なる写真家
そのプロ棋士の父親が言ったことばとこれに呼応した息子の心意気もすごいのです。
・・・プロの指す将棋に”待った”は無い。やり直しはきかない・・・・そういう緊張が、人間にいい仕事をさせるものだ。何度もシャッターを切り、その中から良い一枚を選ぶ、という写真の世界は、どうしても純粋な表現とは思えないね」という父。

・・・いらい、私は廃墟一カ所につき一枚しかシャッターを切らず、それでそこを表現しようと努めました・・・」とした息子。

親子であってもプロの闘いを垣間見た感じです。

なかなか骨のある人を紹介してくれた友をありがたいと思う陶酔人




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