777:石牟礼道子 その1 「苦海浄土-わが水俣病」

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本屋で背表紙を見ていてた際に「十六夜橋」(石牟礼道子 講談社文庫)に惹きつけられました。「イザヨイバシ」・・・なんと響きの良い題名でしょう。買わずにはいられませんでした。ところがいざ読もうとしたら作家石牟礼道子には処女作「苦海浄土-わが水俣病」(同 全363頁)がありことを知りまして、どうしても「苦海浄土-わが水俣病」を先に読まなければならなと思った次第です。
 777:石牟礼道子 その1 「苦海浄土-わが水俣病」 777:石牟礼道子 その1 「苦海浄土-わが水俣病」

本書は水俣病の取材をもとに作られています。文中(P145)では自らを「水俣川の下流のほとりにすみついているただの貧しい一主婦」と書いています。そのため題材は住民目線での公害問題に重きを置いています。

 777:石牟礼道子 その1 「苦海浄土-わが水俣病」
この写真は石牟礼道子wikiからの転載です(大元は朝日ジャーナルのようです)

公害元(工場排水の有機水銀)である新日窒肥料(現チッソ)、学会、政治家。マスコミの対応も余すところなく示しながら、あくまで漁民・住民に寄り添った文章が続きます。
特に患者の熊本弁はかなり読み取りにくいのですが、そこは想像をしながら先へと読み進めます。

すると文章のいたるところに文学の香りが充満していることにも気付きます。

文頭「・・・湯堂湾は、こそばゆいまぶたのようなさざ波の上に、小さな舟や鰯籠などを浮かべていた・・・」
文中(P235)の「・・・みしみしと無数の泡のように、渚の虫や貝たちのめざめる音が重なりあって広がってゆく・・・」
などは陶酔人のこころを掴みます。

P217~230の爺さまの長丁場の告白なぞは、取材を基にしているとはいえ石牟礼道子が創作した文体としか思えない。遅読の陶酔人が先に先にとせかれるように読み進めざるをえない文章でした。
 777:石牟礼道子 その1 「苦海浄土-わが水俣病」
本地図は巻末からの転載です

見舞金契約書(昭和34年)の紹介(P136,322)の中で、「・・・おとなのいのち10万円・こどものいのち3万円(年間)・・・」の紹介がありました。この文言を石牟礼道子は「念仏にかえてとなえつづける」決意をしたようです。

公害という言葉は耳慣れない時代ですので、企業責任・社会貢献などの言葉がまだなかったころのことです。

本書は第一回大宅壮一賞に選ばれましたが受賞辞退をしたようです。

一方で石牟礼道子はすでに2018年に亡くなっていることを知りました(享年90)。複雑な心境です。

    しばしの時を経て「十六夜橋」を読む予定の陶酔人

   



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