600:「金子みすず」について

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「金子みすずを知らないのか」と言われたことがきっかけで調べているうちに、金子みすずの童謡詩にはまってしまいました。
以下の引用は、「繭と墓」(大空社)と「金子みすず全集」(矢崎節夫・JULA出版局)からのものです。

 600:「金子みすず」について
金子みすず20才の時の写真です。

「私と小鳥と鈴と」
 私が両手をひろげても、
 お空はちっとも飛べないが
 飛べる小鳥は私のやうに、
 地面を速くは走れない。

 私がからだをゆすっても、
 きれいな音は出ないけど、
 あの鳴る鈴は私のやうに
 たくさんな唄は知らないよ。

 鈴と、小鳥と、それから私、
 みんなちがって、みんないい。

これが一番有名な詩のようです。鳥と鈴と人間が同列なんですね。視点の広さに驚きます。

 600:「金子みすず」について
最初に出会った本が金子みすず童謡集「繭と墓」でした。なんとも素敵な装丁ですね。この本は童謡詩人の檀上春清氏が昭和45年に金子みすずオマージュとして上梓したもので、どうやら自費出版のようでした。それが、30余年の時を経て大空社から2003年に復刻されたのが、この本です。この本がなんと「未読状態」で手に入りましていきなり家宝になりました。

 600:「金子みすず」について
金子みすずのイメージを描いたと思しき挿絵は次ページから続く童謡詩を連想させる導入です。

「お魚」
 海の魚はかわいそう。

 お米は人につくられる、
 牛は牧場で飼われてる、
 鯉もお池で麩をもらう。

 けれども海のお魚は、
 なんにも世話にならないし、
 いたずら一つしないのに、
 こうして私に食べられる。

 ほんとに魚はかわいそう。

なんといきなり冷や水を投げかけられました。自己撞着という指摘もあるかとは思いますが、詩人のみずみずしい感性に圧倒されました。
続いて、

「大漁」
 朝焼小焼だ
 大漁だ
 大羽鰮の
 大漁だ。

 濱は祭りの
 やうだけど
 海のなかでは
 何萬の
 鰮のとむらひ
 するだろう。

こういった視点を持つ詩人なんですね。「お魚」に続いて「大漁」にさらに感動している自分に気づきます。

「繭と墓」
 蠶は繭に
 はいります、
 きうくつそうな
 あの繭に。

 けれど蠶は
 うれしかろ、
 蝶々になつて
 飛べるのよ。

 人はお墓へ
 はいります、

 暗いさみしい
 あの墓へ。

 そしていい子は
 翅が生え、
 天使になつて
 飛べるのよ。

西条八十はこの詩を「絶唱」と評していたようです。金子みすずは詩とはうらはらに凄惨な20代を送り、26才で自から命を絶った事実と重ね合わせて読まざるを得ないですね。

この一冊が呼び水となり、「金子みすず全集」(矢崎節夫・JURA出版局)を読了しました。
 600:「金子みすず」について

この全集の元帳は金子みすずの三冊の遺稿手帳によるものです。
 600:「金子みすず」について
この遺稿手帳の最後に「巻末手記」が載っています。

 ―できました、
  できました、
  かわいい詩集ができました。

 ・・・・・

 明日よりは、
 何を書かうぞ
 さみしさよ。

と記して、金子みすずは26才で早世します。これこそ絶唱ではないでしょうか。

時の寵児「西条八十」に絶賛されていたにも関わらず、時と共に忘れ去られていたようです。ですが、掲載された作品はかなりのインパクトを持って同時代の詩人に影響を与えたようです。その中で矢崎節夫は、「大漁」を読み「・・激しい衝撃を受けた・・」ことがきっかけで「みすず捜し」に走り、今日の「金子みすず全集」の出版にこぎつけたようなんです。


興味を持たれたら、下段の「続きを読む」をクリックしてください。気に入った詩を転載します。



「雪」
 誰も知らない野の果てで
 青い小鳥が死にました
    さむいさむいこれ方に

 そのなきがらを埋めよとて
 お空は雪を撒きました
    ふかくふかく音もなく

 人は知らねど人里の
 家もおともにたちました
   しろいしろい被衣着て
 
 やがてほのぼのあくる朝
 空はみごとに晴れました
   あをくあをくうつくしく

 小さなきれいなたましひの
 神さまのお國へゆくみちを
   ひろくひろくあけようと

まったく圧倒されます。文節文節を味わえば味わうほど情景が浮かんできます。

「鯨法會」
 鯨法會は春のくれ、
 海に飛魚採れるころ。

 濱のお寺で鳴る鐘が、
 ゆれて水面をわたるとき、

 村の漁夫が羽織着て、
 濱のお寺へいそぐとき、

 沖で鯨の子がひとり、
 その鳴る鐘をききながら、

 死んだ父さま、母さまを、
 こひし、こひしと泣いてます。

「お魚」「大漁」に通じます。

「学校 -人におくる- 」
 氷がとけたら
 みづうみの
 底に學校は
 あるでせう。

 葦の葉かげに
 映って揺れた
 赤い瓦よ
 白壁よ。

 葦は枯れ
 學校はあとなく
 なったけど

 氷がとけたら
 みづうみに
 むかしの影があるでせう。

 葦が青めば
 その底で
 鐘のなる日も來るでせう。

社会性がある詩は少ないのですが書いていたんですね。旧字体と合いますね。

「鶴」
 お宮の池の
 丹頂の鶴よ。
 
 おまへが見れば、
 世界ち”ゆうのものは、
 何もかも、網の目が
 ついてゐよう。

   あんなに晴れたお空にも、
   ちひさな私のお顔にも。
 
 お宮の池の
 丹頂の鶴が、
 網の中で靜かに
 羽をうつときに。

 一山むかうを
 お汽車が行った。

これも視点が鶴側にあります。この感性にしびれます。

「紙の星」
 思ひ出すのは、
 病院の、
 すこし汚れた白い壁。

 ながい夏の日、にちにちを、
 眺め暮した白い壁。

 小さい蜘蛛の巣、雨のしみ、
 そして七つの上の星。

 星に書かれた七つの字、
 メ、リ、-、ク、リ、ス、マ、七つの字。

 去年、その頃、その床に、
 どんな子供がねかされて、

 その夜の雪にさみしげに、
 紙のお星を剪ったやら。

 忘れられない、
 病院の、
 壁に煤けた、七つ星。

自らが入院した際の前の入院者に思いを寄せていますね。

その他にも気になる詩は、一杯あります。
「瞳」
「土」
「暦と時計」
「虹と飛行機」
「露」
「打ち独楽」
「藪蚊の唄」
・・・

またこの全集には「金子みすずノート」(矢崎節夫)なるものが付いていまして、金子みすずの生涯・交友・詩の掲載誌・掲載日の全てが書かれていました。解説はあまり読まない陶酔人ですが、ついつい読んでしまいました。矢崎節夫がいなければ、今日金子みすずの作品は忘れ去られるところだったようです。

金子みすず

矢崎節夫

金子みすゞ記念館

二葉亭餓鬼録さんのブログに興味深い記事がありました。

  外出の自由がきかないことで、金子みすずを堪能した陶酔人



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