747:御土居・洛中洛外・ブラタモリ

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先日5月13日(土)のブラタモリは京都の東寺を中心にした放送でしたが、従来抱いていた疑問がすっと溶けました。
東寺が京都の入り口だった・・・秀吉が京都を土塁で囲った(御土居)・・・京都は東山など東側が水はけがよく住むのに適した・・・

以下の写真は京都情報館京都ツウ読本
KYOUTO LOVE、KYOUTOからの転載です。

 747:御土居・洛中洛外・ブラタモリ
なかでも「御土居」という秀吉の遺構は初めて知りました。戦国時代に荒廃した京都を守るべく土塁で京都を囲ったんだそうです。しかも現存している箇所があちこちにある・・・
 747:御土居・洛中洛外・ブラタモリ
 747:御土居・洛中洛外・ブラタモリ
京都の友人に聞きますと普段の生活の中でよく見かけるとのことでした。
 747:御土居・洛中洛外・ブラタモリ
 747:御土居・洛中洛外・ブラタモリ

以下は「続きを読む」に記すこととします。


京都というと観光イメージで京都人の生活までは想像できません。昼の散歩で下鴨神社に出かけた、東寺のライトアップを見た、鞍馬寺の山門の雪を見てきた、、、京都を気分次第で見放題なんてなんて素敵なんでしょう!

とはいえ遠く浜松ではかなわぬ夢なんで、時折観光にでかけることで満足しています。

何故京都というと東寺が頻繁に映るのか?東寺と言えば西寺もあるんじゃあないのか?といった疑問そのものにピタッと答えが放送されました。

しかも、初めて知る御土居なる存在を知知りました。それも京都の方はアタボウの存在なんですね。
秀吉が天下統一した後に室町末期に戦乱で荒廃した京都の復興・外敵への備え・鴨川の氾濫予防などを目的に土塁で囲ったのが御土居というそうです。
それはそれで結構なんですが、江戸時代になって春日大社などが往来の邪魔などと言って徐々にその御土居も寸断されたようです。江戸時代が戦乱が少なかったこともあるのでしょうが、秀吉の功績を抹殺したい徳川側の思惑・・・どの時代でも覇権争いは絶えませんね。

「洛中洛外」という言葉は「御土居」に後にできた言葉としたら、「洛中洛外図屏風」のネーミング時期は微妙ですね。まあネーミングは後付けなのかもしれません。

後は備忘録としてリンクを転載しておきます。

京都市の史跡「御土居」1

京都市の史跡「御土居」2

京都ツウ読本ブログ
このブログの写真は見ごたえがありました。

KYOTO LOVE、KYOTOブログ

キョウトピブログの記事「保存版・・御土居・・}


御土居ネット写真集


羅城門wiki(羅生門?)


洛中洛外図(洛中洛外図屏風)wiki

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