693:中島敦の「李陵・山月記」読了

カテゴリー │本・歴史・人物・・

少し前になりますが中日新聞で中島敦「山月記」が取りあげられました。この作品を読んだような読まないような不思議な感覚を持って調べますと、なんと森敦の「月山」と勘違いをしていたのです。生来のおっちょこちょいの性格がなせるわざです。
そこで反省をして、「山月記」を読もうと思い新潮文庫を手に入れますと、文庫本の名前は「李陵・山月記」で、短編2つ「山月記」「名人伝」と中編2つ「弟子」「李陵」が入っていました。4編とも舞台・登場人物がすべて中国がらみなので中島敦は中国文学者というべきでしょう。
 693:中島敦の「李陵・山月記」読了

その4篇すべてが戦時中に執筆し、終戦前に33歳で病没したなんとも数奇な運命の作家でした。

「山月記」の冒頭から漢字が難解・注釈がいっぱいで途方にくれました。そこで従来の遅読は断念して、速読を超えたすっとばかし読みをしますと、詳しくはわからないながら全体のストーリーはと読みとれました。ごく大雑把にいうならば、清貧の詩人が大成せずオオカミに変貌してしまう話です。
人がオオカミに変身する話は世にいくつかあるんだと思いますが、本編は中国の物語にヒントを得て描いたもののようです。

「山月記」は文庫本12頁の超短編ながら、読後にすごいインパクトを残します。特に末尾のかつての友に藪越しに語る(独白する・自嘲する)下りは、どうも作者自身を投影しているとしか思えませんでした。
中島敦はあまり有名ではないにも関わらず、「山月記」が頻繁に教科書に取り上げられる理由を想像するのは面白そうです。ですが、それを記すと面白くなくなってしまいそうで保留しておきます。
 693:中島敦の「李陵・山月記」読了

「名人伝」は、弓の名人が技を極めている中で、弓を射ない境地に達する話・・・
「弟子」は孔子に魅せられ弟子入りした武人の話・・・
文中、「・・・人君にして諫臣が無ければ正を失い、士にして教友が無ければ聴を失う・・・」という文言は至言ですねえ。

「李陵」は漢の武人が蒙古軍の捕虜となった李陵の行為・心境を中心に、副題としてそれを司馬遷が擁護して帝の不興を買い職を解かれながらも死すまで「史記」の完成を続けたという話が挿入され俯瞰的な構成になっています。

4編ともに「有用な人材が報われない」ことを描いていて、それは作者自身の化身とも受け取れました。

 久しぶりに小説を読みまして、感慨深い陶酔人









同じカテゴリー(本・歴史・人物・・)の記事

 
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
693:中島敦の「李陵・山月記」読了
    コメント(0)