189:逝きし世の面影(陶酔人)101103

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平凡社ライブラリーの渡辺京二の「逝きし世の面影」を読了しました。幕末~明治初頭に日本を訪れた外国人の目を通して、近代日本が失ったものを見据えた作品です。
 189:逝きし世の面影(陶酔人)101103
「逝きし世の面影」という題名だけでも内容が髣髴としてきますね!
 「この国の主な仕事は遊びだった」
 「気楽な暮らしを送り、欲しい物もなければ、余分な物もない」
 「日本人は狂信的な自然崇拝者である」
などと、興味深い表記が目立ちます。読み進めるほどに、幕末以前の日本人の美質に渡辺氏が魅了されていたと思わずにはいられない書き方です。

1998年段階ですでに、雇用機会の無い社会・セーフティネットが無い社会を予告していました。

WEB社会に乗り切れず、印刷物に固執する陶酔人

字だけの文章を読みたい方は、続きを読むをクリックしてください。

出だしは「物語はまず、ひとつの文明の滅亡から始まる」とあります。それは「逝きし世の面影」という題名にも呼応して内容の濃さを予期させる出だしでした。渡辺氏の著作は「幕末~明治初頭にかけて日本を訪れた異邦人が書いた文章からの引用」に終始しています。20以上の英語文献・100以上のの日本語化された文献からの引用です。つまり、事実によって「自らの主張」を語らせる手法です。上に書きましたが、幕末以前の日本人の美質に魅了されていたと思わずにはいられないまとめ方でした。ですので、渡辺氏の意見なのか異邦人の記述なのか渾然としている感もありますが、それが狙いなんでしょう。

北京・大連で育った氏は、あとがきに「私はずっと半ば異邦人としてこの国で過ごした気がする」とあります。「数々の外国人に連れられて日本という異国を訪問したのかも知れない」「私はひとつの異文化としての古き日本に、彼ら同様魅了された」ようです。「その古き日本とは十八世紀中葉に完成した江戸期の文明」だったというわけです。

興味ある引用を転記します。
 「人々の愛想のいい物腰ほど、外国人の心を打ち魅了するものはない」
 「この国の主な仕事は遊びだった」

 「気楽な暮らしを送り、欲しい物もなければ、余分な物もない」
 「金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない」
 「貧乏人は存在するが、貧困なる物は存在しない」
と、「貧しくとも満たされた心=豊かな生活」と書いています。

 「彼らは日本語を人類のしゃべる自然の言葉だと思い、それ以外の言葉があるということを考えてもみないらしい」とのん気さに微笑み、
 「普通の町屋は夜、戸締りをしていなかった」「無人の店から持ち逃げする客が誰もいない」と安全性を記し、

 「棲み分けるニッチの多様豊富という点で際立った文明であった。羅宇屋は羅宇の掃除とり替えという、特殊に限定され専有された職分によっていきてゆくことができた」
 「それぞれの店が特定の商品にいちじるしく特化していることだ。羽織の紐だけ、硯箱だけ売って生計が成り立つ」と雇用機会の多さを、記載しています。

予想外の表記では、
 「下層の労働者階級はがっしりたくましい体格をしているが、力仕事をして筋肉を発達させることのない上流階級の男はやせていて、往々にして貧弱である」と武士階級を揶揄して、
 「身分とは職能であり、職能は誇りを本質としていた」ので、
 「近代的観念からすれば民主的でも平等でもありえないはずの身分制度のうちに、まさに民主的と評せざるをえない気風がはぐくまれ、平等としかいいようのない現実が形づくられた」とまで書いてあります。

微妙な表現としては、、
 「三十年ほど前までは、都会の銭湯の広々とした浴槽は男女とも一つだった」
 「年頃の娘たちはときには顔にいっぱい塗りたくり・・・日本人の紅や粉おしろいを肌につける熱心さは、ふた目と見られるほど粉を無理たくるという醜悪化の技術にほかならない」なんてな表記もあります。

時代劇では時折見かけるのですが、
 「庶民の女たちの地位は支配者の妻たちの地位よりはるかに高い・」とありますし、
 「主婦が一家の財布を預かり、実際に家庭を支配することが多い」などは現代に通じます。
これは例外的に日本人(江戸時代)の記述からの引用ですが、女性の元気印の例題として、
 「小僧の清公がからかいやがると、伝法な声を張上げ・・・」と紹介しています。伝法な声ってのは
 「何をしゃアがるんでイ」って言葉だったらしいのです。昔も今も女性は強いってことですか?!

子供への愛情は世界に類を見ないほどの高いものであったようで、
 「この心のあたたかい国民が、社会の幼いメンバーにいかにたっぷりと愛を注いでいる」かを紹介し、幕末・明治初頭の頃を「子供の楽園」とまで書いています。

首都でありながら自然と調和する例として、
 「狩猟は江戸十里四方でも禁じられていた。だから江戸はまさに鳥類の天国だった」
 「江戸が当時世界で最大の人口を擁する巨大都市であることは、来日した外国人たちにもよく知られていた」
 「江戸は、彼らの基準からすればあまりに自然に浸透されていて、都市であると同時に田園であるような不思議な存在」
 「江戸の美観」を前にして「こんな地点にいると、自分がいま二百万の人びとの只中にいるのだという事実を実感するのがむずかしい時がある」との表現もあちこちに見られます。

 「日本人は狂信的な自然崇拝者である」とも、
 「椿と桜の品種改良は早くも室町時代に始まり」江戸時代に入ると
 「桜は四、五百品種、梅は二百品種の多きに達した」とも書かれています。

幕末に日本を訪れた英国のプラントハンターは1.6Kmに及ぶ直線道路に沿って売りものの植物が栽培されているのを見て、
 「わたしはかって世界のいかなる地域においても、これほど多数の植物が売り物として栽培されているのを見たことがない。」と感動しています。

面白いのは、
 「第一、武士は閑だった。大久保のつつじが染井のそれを抜いて名を売ったのも、同地の鉄砲同心たちが閑まかせてその栽培に精出した結果」と紹介し、そこからさらに思考して、
 「人間は自然=世界をかならず一つの意味あるコスモスとして、人間化して生きるのである。そして、混沌たる世界に一つの意味ある枠組を与える作用をこそ、われわれば文明と呼ぶ」
 「人生の意義は名声は栄達を求めることにはない。四季の景物、つまり循環する生命のコスモスのうちにおのれが組みこまれることによって完結する生-それをこの時代の人はよしとしたのである」とまで書いています。

日本人の無宗教ぶりを紹介するところでは、
 「日本人はまるで気晴らしか何かをするように祭日を大規模に祝うのであるが、宗教そのものにはいたって無関心で、宗教は民衆の精神的欲求を満足させるもととしては少しも作用していない。それに反して迷信は非常に広く普及していて」
 「寺詣りするのは下層階級と女性であることは、観察者に早くから認められていた」ようですし、
 「教養ある日本人は、本当は仏教とその僧侶を軽蔑している・・・僧侶のばかばかしいいかさま説法の対象となるのは、威信を下げると彼らが思っている」
明治初頭のとある校長先生が訪問中の外人に「われわれには宗教はありません。あなたがた教養のおありの方々は、宗教はいつわりだとご存知のはずです」という記録には驚かざるを得ません。

一方で、土着の信仰に対して・・・
 「巡礼たちにとって、登山はピクニックではなかった」と記載し、富士山の火口で山頂に達するのに7日かかった70歳の老婆に会い圧倒され、中禅寺湖での巡礼が「湖の氷のように冷たい水に浸かり、手を合わせている」のに出くわし「これがわたしが日本で見た本当に感動的な唯一の礼拝行為」とまで書かれたルポルタージュを紹介しています。

渡辺氏自身の表記で、
 「後年、近代化された日本人は、東京を「大きい村」ないし村の集合体として恥じるようになるが、幕末に来訪した欧米人はかえって、この都市コンセプトのユーニークさを正確に認識して感動をかくさなかったのである。すなわち、このような特異な都市のありかたこそ、当時の日本が、世界に対して個性あるメッセージを発信する能力を持つ、一個の文明を築き上げていたことの証明なのだ」と過去に学ぶことの価値を提示し、失ったものの損失の多さを慨嘆しています。
残念ながら現代への提言まではありませんでしたが、それはわれわれ一人ひとりが見出し実践していくものなのでしょう。

長々書き写しましたが、おつきあいご苦労様でした。

この本の中で、今泉みね「名ごりの夢」に興味を持ちました。次に読む本の候補はこうして決まることが少なくありません。

次々に本の候補が待っている陶酔人



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この記事へのコメント
柴田です。
陶芸よりも、投稿文のほうが面白くて、博学になりますね
Posted by 柴田廣高 at 2010年12月25日 09:03
陶芸よりも面白いですって?!
うーーん、微妙な心境です。
Posted by 陶酔人 at 2010年12月25日 09:11
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