828:「舟と材木と掛塚港」展示 磐田市竜洋支所

陶酔人

2024年12月10日 09:31

12月3日の中日新聞に「舟と材木と掛塚港」と題する展示が磐田市竜洋支所で開かれていると載りました。以前から浜松の材木町と竜洋港の繁栄の関係を知りたくて出かけました。
 
 
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この写真は中日新聞の記事の転載です。

 
 
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この写真は、陶酔人の携帯では解像度が悪く判別できにくかったため、ネットに載っていた平山育夫さんの「明治時代の天竜川流域におヶる製材工場について」というPDFファイルの表の一部を転載したものです。
写真の上から9番目に金原明善の名前がみられます。
「金原明善が天竜川の上流に治水のため杉を植え洪水を防いた」と郷土の歴史で学びましたが、それは多くの方々の尽力・共同作業を代表して紹介されてきたようなんです。

 
上はいただいた冊子です。下に示す文献を含めてまとめた冊子です。展示会場で分けてもらえます。
 
これらの資料を調べてまとめたと言われていました。

展示は12月20日までやっています。

過去の記事776記事687での金原明善の表記

竜洋支所の職員の方(上の中日新聞の記事の中の左端の方らしい)がいろいろ説明は下段の「続きを読む」をクリックすると見られます。

  出かけてみないと分からないことは多いとつくづく思う陶酔人

竜洋支所の職員の方の説明

天竜川は増水するたびに地形を変えてきた
上流からの流れてきた砂が沈殿して遠浅になったところを、増水してその遠浅になった砂を一気に大海原に運んでしまったりして、・・・
地形は千変万化・・・
天竜川の西側・東側の区別は無く、運命共同体として治山治水の当たってきた・・・
その全体を象徴する人として金原明善が取り上げられてきた・・・
遠浅だったところに竜洋港を築港して、全国に材木などの商材を運んでいた・・・
竜洋以北は小舟で運搬していた・・・

金原明善が取り上げられることが多いのですが、治山治水の運命共同体という言葉に感銘を受けました。


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