2017年05月26日00:05
498:西尾市 その1 碾茶≫
カテゴリー │食事・食材
気になっていた抹茶で有名な西尾市に出かけました。
あいや伝送茶屋でさっそく抹茶体験をしました。

茶葉を5分間ひたすら石臼で碾くと下のように抹茶ができあがります。


↑ 上の写真をクリックすると拡大します
一般ランクの抹茶コースでもそこそこおいしかったのですが、プレミアム抹茶コースでは断然うまみが違いました。
結構これで満足していたのですが、面白かったのはその後のことです。
車で移動中に迷子になり、狭い道をうろうろしていると お茶を摘んでいる中学生達に遭遇しました。しかも そこかしこでお茶を摘んでいるのです。



たまたま道で見かけた農家の方にお聞きしますと、西尾市では中学生のお茶摘みが学習の一環になっているようなのです。


右半分が摘んだ後で、左半分はこれから摘む予定の状況です。一芯二葉とは違う摘み方なんですね。
上の黒いものは太陽光を遮って柔らかい茶葉にするためのものです。
お茶の葉は基本太陽光の下で育てるのですが、玉露・抹茶の葉だけは摘み取り直前の2~3週間日光を遮る被覆を施すことで甘み・うまみ・香りが増すんだそうです。
迷子になった町は、なんと西尾市のお茶生産の中心地西野町でした。


矢作川の伏流水・山際・・といった条件がそろっていて美味しいお茶になったようなのです。抹茶では京都の宇治と毎年一位二位を競っているようです。
以下の資料は、西野町の郷土史「我が故郷 西野町史 あれこれⅡ」からの転載です。

1271年(文永8年)、実相寺の開祖聖一国師が宋から茶の種を持ち帰り、寺の境内に播いたことが西尾茶の起源で、1872年(明治5年)、宇治から茶種と製茶技術を持ち帰った紅樹院の住職足立順道が境内に茶園を開き、1884年(明治17年)には稲荷山一帯に新たに茶園が開墾された・・・
その紅樹院です。

そこには西尾茶の起源となる原樹がありました。


おまけ1
「抹茶」の茶葉は「碾茶」というようです。煎茶の高級茶葉は「玉露」、「碾茶」と同じ音読みなのが中国の「甜茶」・・・
西尾茶
おまけ2
お茶を摘んでいた中学生の自転車はブリジストンの「通学自転車アブベルト」のみでした。不思議な風景でした。
おまけ3
お茶についてのお話(西尾市役所)
西尾市は、他にも寺が多い、古い町並みが味わいがある、味噌蔵もある・・・ので、その2以下で紹介しますと予告する陶酔人
あいや伝送茶屋でさっそく抹茶体験をしました。
茶葉を5分間ひたすら石臼で碾くと下のように抹茶ができあがります。
↑ 上の写真をクリックすると拡大します
一般ランクの抹茶コースでもそこそこおいしかったのですが、プレミアム抹茶コースでは断然うまみが違いました。
結構これで満足していたのですが、面白かったのはその後のことです。
車で移動中に迷子になり、狭い道をうろうろしていると お茶を摘んでいる中学生達に遭遇しました。しかも そこかしこでお茶を摘んでいるのです。
たまたま道で見かけた農家の方にお聞きしますと、西尾市では中学生のお茶摘みが学習の一環になっているようなのです。
右半分が摘んだ後で、左半分はこれから摘む予定の状況です。一芯二葉とは違う摘み方なんですね。
上の黒いものは太陽光を遮って柔らかい茶葉にするためのものです。
お茶の葉は基本太陽光の下で育てるのですが、玉露・抹茶の葉だけは摘み取り直前の2~3週間日光を遮る被覆を施すことで甘み・うまみ・香りが増すんだそうです。
迷子になった町は、なんと西尾市のお茶生産の中心地西野町でした。


矢作川の伏流水・山際・・といった条件がそろっていて美味しいお茶になったようなのです。抹茶では京都の宇治と毎年一位二位を競っているようです。
以下の資料は、西野町の郷土史「我が故郷 西野町史 あれこれⅡ」からの転載です。

1271年(文永8年)、実相寺の開祖聖一国師が宋から茶の種を持ち帰り、寺の境内に播いたことが西尾茶の起源で、1872年(明治5年)、宇治から茶種と製茶技術を持ち帰った紅樹院の住職足立順道が境内に茶園を開き、1884年(明治17年)には稲荷山一帯に新たに茶園が開墾された・・・
その紅樹院です。
そこには西尾茶の起源となる原樹がありました。
おまけ1
「抹茶」の茶葉は「碾茶」というようです。煎茶の高級茶葉は「玉露」、「碾茶」と同じ音読みなのが中国の「甜茶」・・・
西尾茶
おまけ2
お茶を摘んでいた中学生の自転車はブリジストンの「通学自転車アブベルト」のみでした。不思議な風景でした。
おまけ3
お茶についてのお話(西尾市役所)
西尾市は、他にも寺が多い、古い町並みが味わいがある、味噌蔵もある・・・ので、その2以下で紹介しますと予告する陶酔人