555:長崎 その1
長崎が今回2つの世界遺産に登録されたこともあってか、
外海の出津集落(潜伏キリシタン)と
軍艦島見学付きのツアーがありました。
上と下の写真は、
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」のパンフからの転載です。
外海は陸の孤島と言われていて、明治になっても陸路での移動は叶わず、小さな船でしかいけません。役人ですらいけない辺鄙のところです。平たん地が無い、岩場しかない、海風が強い、断崖で漁業もできないこともあり生活は極貧だったのです。
そこに赴任してきたフランスの貴族出身の
若きド・ロ神父は、布教のかたわら人々が貧しい生活から抜け出すことに注力したのです。その為のハードとしては以下のものをフランスから輸入・移入したのです。
写真をクリックすると拡大します。
この写真は、
冊子「外海のキリシタンとド・ロ神父」からの転載です。
まずは出生率の低い状況の打破のため助産院を建て、農業の為の開墾をして、織物機械の導入して、ソーメン・醤油の製造をして・・・・と次々に外海の人々の生活改善をしていって、
外海で生涯を過ごしました。
この写真は、ウィキペディアからの転載です
そのド・ロ神父がいかに皆に愛された存在だったかは、いまだに「ド・ロさまそうめん」と命名された当時のそのままの配合でのソーメンが売られていることや、ボランティアガイドのお二人は口々に「わたしはクリスチャンではありませんが」と自己紹介をしながら、ド・ロ神父が人々と共に貧しい生活から抜け出す工夫をしていったかを「切々と語る」ことなどから分かりました。
このお二人の説明は心に沁みました。録音できたらなあと思ったほどでした。
潜伏キリシタンは日本人にはなじみが少ない言い方ですが、江戸時代の禁教の中、神父がいない中で200年の時がキリスト教が日本ナイズしてきて、キリスト教が黙認されるようになってもカトリックに復活しなかった人たちが
隠れキリシタンと呼称するようです。そしてカトリックに復活した人たちを
潜伏キリシタンと呼称するようです。
ユネスコ本部がフランスにあることから、潜伏キリシタンだけが世界遺産として認められたってことではないかと勝手に想像しています。
興味本位で出かけたのですが心洗われた陶酔人
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